TWICE「Candy Pop」に出演する”プロデューサーJY”こと”パク・ジニョン”

TWICEが所属するJYPエンターテインメントの創設者で音楽プロデューサー。現在もテレビ番組の出演が多い人気芸能人でもあり、歌手でもある。好きな食べ物とそのルックスから、ファン(?)からは餅ゴリラと呼ばれている。戸籍上の誕生日は1972年1月13日だが本当の1971年12月13日。

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パクジニョンとは?

韓国の歌手、音楽プロデューサー、作曲家、ダンサー、実業家、俳優、そして株式会社JYPエンターテイメントの株式16.43%を保有する最大株主。これは2016年11月の株式市場の時価ベースで280億ウォンに達する。現在パク・ジニョンをJYPの社長(代表取締役)だと思っている人がいるが、現在JYPの社長はジョン・ウクである。

過去に社長を務めたこともあったが、現在の会社の役職は総括プロデューサーでアーティストと制作、営業業務を担当している。特にGOT7、TWICEといったJYP新人アーティスト発表時は、最終的な決定権を持っているものと思われる。イ・スマン(SMエンターテインメント) 、ヤン・ヒョンソク(YGエンタテインメント)とは異なり、パク・ジニョンは社内取締役であり経営上の法的責任を負う立場でもある。

英語圏では、イニシャルのJYPという名前で活動し、プロデューサーとして「JYPark “The Asiansoul”」という名前を使っている。

日本では2018年2月7日発売のTWICEの日本セカンドシングル「Candy Pop」のミュージックビデオに”プロデューサーJY”として出演した。このため「TWICEの日本進出はパク・ジニョン本人の日本進出の足掛かりにするため」との噂が流れた・・・という事実はない。

TWICE 「Candy Pop」MVに出てくるオッサンはパク・ジニョンだった

パクジニョンのアルバムジャケット

履歴

1990年代中盤はは歌手として、1990年代後半からはGOD、WONDER GIRLS、RAIN、miss A、TWICEを輩出し、プロデューサーとしても活躍している。2012年から2014年までの音源の著作権収入1位を記録した作曲家でもある。また、20年以上人気を維持している芸能人でもある。

幼少期

1972年1月13日ソウル生まれ。母親によると幼い頃から好奇心が強く、やりたいことは何でもやる「悪童」であった。小学校1年生の時、父の仕事の関係で家族全員アメリカで生活をすることになった。この時からダンスの才能を見せ始め、黒人とダンスバトルをして勝ったという。その後パク・ジニョンはさらに音楽に傾倒して行った。両親はパク・ジニョンの意思を尊重し現在の”パク・ジニョン”が誕生した。

90年代 ”シンガー”パク・ジニョン

1991年延世大学校地質学科入学。。大学在学中のパク・ジニョンは歌手になるために、自作曲を持って多数の芸能事務所に売り込みをかけたが、ユニークな体型とマスクのために断られ続けた。1992年「パク・ジニョンと新世代」としてデビューしたが、全く売れなかった。この時期、運良く作曲家キム・ヒョンソクが所属する事務所に拾われ約2年間、作曲のAからZまでのすべてを学ぶなど、本格的な創作の土台作りを始めた。

パク・ジニョンは1994年9月「날 떠나지 마」をタイトル曲にした1stアルバムを発表した。元々「날 떠나지 마」はピアノバラード曲だったが「ダンス曲に編曲しよう」という提案がありダンス曲に変身、パク・ジニョンの才能豊かなダンスと共に歌謡界に打って出た。「黒人フィーリング」を強調したダンスと歌は歌謡界に新鮮な衝撃を与え、特にヒップダンスは韓国大衆音楽史上初めて男のセクシーコードを強調した衝撃的な振り付けとして記憶されている。ヒット曲となった「날 떠나지 마」は1995年3月1日から8日までの音楽番組で4回の1位を記録した。パク・ジニョンの1stアルバムは、1995年までに47万枚の売上を記録した。

1995年2ndアルバム収録曲の中で「エレベーター」は、妙な雰囲気の歌詞やイ・ソラと一緒に撮影したミュージックビデオの性的な雰囲気が波紋を呼んだこともある。しかし当時の京郷新聞が「韓国のタイソン」という別名を付けるなど、それなりに彼の人気を実感できる。

1996年と1998年にそれぞれ3rd、4thアルバムを発表し、「그녀는 예뻤다」、「Honey」などのヒット曲を連発しシンガーソングライターとして成功を収めた。

大学卒業後、京畿大学行政大学院に入学した。学業成績優秀で誠実で学習意欲が高く、教授の推薦を受け延世大学校政治学科大学院に編入した(編入過程で「地質出身の芸能人がなぜ政治学大学院に行くのか?」という批判があった。)が中退した。

2000年代 ”プロデューサー”パク・ジニョン

2000年代に入ると、本人の音楽活動だけでなく、プロデューサーとして活動が目立つ。1999年デビューしたGODが「国民的グループ」と呼ばれるほど爆発的な人気を得たのをはじめ 、パク・チユンがパク・ジニョンのプロデュースした「成人式」で大きな人気を得たのも、2000年代初頭。

2001年に発売したパク・ジニョン自身の6thアルバムも好調だったが、以後約6年間アルバムを発表しなかった。

2002年に新たにデビューしたRAINはデビュー曲の反応はよくなかったが、後続曲「안녕이란 말 대신」が大ヒットし、ビョルも「12月32日」や「안부」がヒット曲となった。ボーカルグループとして結成したNoelは大大的に売り出した割に成功したとは言い難いが、それなりの認知度を得ることに成功した。2005年にデビューアルバムが出てきたイム・ジョンヒはデビュー前の期待に比べて少し残念な結果に終わったが、デビュー曲「Music is my life」はそれなりに知られている。

2000年後半は本格的にアイドルグループをデビューさせ始める。2007年にWONDER GIRLS、2008年に2PMと2AMがデビューする。特にWONDER GIRLSの「Tell Me」は大韓民国のUCC熱風とフックソングブームを巻き起こし、現在のガールズグループ熱風の出発点となった。WONDER GIRLSは歌謡界の支配権を変えたほど大きな成功を収め、「So hot」「Nobody」と次々と大ヒットした。2PMも男性的な魅力でトップクラスのボーイズグループとなった。ほとんどの曲をパク・ジニョンがプロデュースし、プロデューサーとしての力量が輝いていた時期だった。

そこに2007年に発表したパク・ジニョン自身の7thアルバムも人気を得た。「니가 사는 그 집」が独特の振付と印象的な歌詞で人気を集め、音楽的にも認められ黒人音楽専門ウェブマガジンRHYTHMERが2007年、今年のR&Bアルバムに選んだ。

ただし、本格的に「アメリカ病」にかかり始めたのもこの頃。アメリカでもプロデューサーとして活動をしようと、複数のアーティストと仕事をしたり、JYPのアメリカ支部を設立してJYP所属練習生のアメリカデビューを推進した。しかし結果は芳しくなかった。特に、2008年に韓国で人気の絶頂期にあったWONDER GIRLSをアメリカで活動させたため、韓国内の活動がストップ、メンバーが交代する内紛まで起きてWONDER GIRLSのファン以外の人々にも非難された。

2000年代のパク・ジニョンは主にプロデューサーとして活動し、多くの歌手を大ヒットさせ、大ヒットさせらなかった場合てもそこそにヒットさせるなど成功した。しかし調子に乗って無理な挑戦をして苦い失敗を味わった時期ともいえる。

2010年代

最近は正規アルバムを出さずにミニアルバムとシングルアルバムで活動中。代表曲に「너뿐이야(2012年)」、「놀만큼 놀아봤어(2013年)」がある。歌手としてのチケットパワーも良く、2007年から2013年までの彼の単独コンサート「나쁜 PARTY」の全国ツアーは毎回完売を記録し、コンサートの内容も水位が高い。

2015年4月、ラッパーのジェシーと共に「어머님이 누구니」を発売した。 反応が非常に良く、様々なパロディの対象にもなった。

2015年5月から7月までのガールズグループTWICEメンバー選抜のためのサバイバルオーディション番組SIXTEENの審査員を務めた。

2016年4月の新曲「살아있네」を発売した。90年代、2000年代、2010年代を経験したパク・ジニョンが自分自身をパロディし、音楽人生を振り返った聴き応えあるシングルである。

10月17日、IOIの最後のアルバム「Miss me?」のタイトル曲「VERY VERY VERY」のプロデュースを担当した。音楽、振り付け、衣装、ミュージックビデオなど、すべてパク・ジニョン自身が作り成績も好調だった。

「Stray Kids」 JYP新ボーイズグループサバイバル番組
これ以上事務所の選択だけを待つ企画型アイドルはもういい常識破壊、想像超越2017年 JYPを引っ張る男性アイドルの誕生これまで見たことのない自生リアリティーデビュー挑戦記自らデビューの道を切り開く「自生アイドル」の能力を検証する過酷な申告式

2017年10月、Mentと共同制作のオーディション番組「Stray Kids」で新ボーイグループ「Stray Kids」を結成したが、Stray Kids自体が自主制作グループを標榜しているため、プロデュースはおろかミュージックビデオの出演もない可能性が高い。

世界観、宇宙観

パク・ジニョンは40歳を過ぎて「私たちはなぜ生きているのか?神は存在するのか?私はどのように生きるべきか?」について苦悩し始めたという。それに対する答えを見つけるためにビッグバン理論と量子力学などの物理学と生物学関連の書籍を耽読し始め、さらにキリスト教、仏教、イスラム教など、あらゆる宗教的な本を耽読したという。そして答えを見つけるために、2012年の春から夏まで数か月間、イエスの生誕地であるイスラエルに渡った。

イスラエルに渡った時、パク・ジニョンは携帯電話などの文明機器を持って行かず、世間と断絶して過ごしていたという。当時PSYの江南スタイルが世界中で大ヒットしたことも知らなかった。

イスラエルから帰ってきたパク・ジニョンは、これまでの煩悩と苦悩を音楽に溶かし出したアルバム「half time」を発表する。そのアルバムに収録された「놀만큼 놀아봤어」はパク・ジニョンが自身の老後を想像して作った曲である。

2012年4月30日のトークバラエティー番組”ヒーリングキャンプ”出演以降、パク・ジニョンの宗教観も語り草となっている。デビューからの17年をタイトに生きてきたパク・ジニョンが2010年から宇宙の真理を知るために、週7日のうち1日は物理学、生物学、進化論、創造論、宗教などの勉強の時間にあてるという。

2013年9月14日のラジオスターに出演して「創造説」、「知的設計」に言及、世界の真理を見つけるために物理学創造説、進化論の両方を勉強したという。

余談だがパク・ジニョンの両親は教会の長老と勧師で、パク・ジニョン本人も学生時代は、日曜学校に通っていたという。しかし20代以降から無神論者の傾向にあると自ら明らかにしている。

その他

バスケットボールマニア

元JYPエンターテインメント所属だったチョン・ジヌン(2AM)、キム・テウ(GOD)らと共に芸能界のバスケットボールファンとして知られている。バラエティー番組”우리동네 예체능 (ホドンの芸・体・能) バスケットボール編”に出演しバスケットボール愛を誇示した。観戦するだけでなくプレーも好きで、自宅の庭に庭にバスケットボールコートを作ってプレーしている。

趣味を生かしNBA 2015-16ファイナル第6戦にゲスト解説として出演、視聴者の反応が良く7戦にも出演した。NBA選手の主なステータスを覚えていることに加えてPERのような2次ステータスへの言及、そこに加え現地中継で語られている内容をすぐにキャッチして視聴者に伝えるなど、専門解説者に劣らない能力を見せた。2016-2017シーズンNBAファイナルにも第1戦解説委員として出演した。

好み

  • マイケル・ジャクソンのファンとして有名である。ジャクソンのファーストアルバム”Off The Wall”が自分の音楽の出発点という。

  • 米国のスーパーヒーロー物オタであり、特にワンダーウーマンのファンである。自分が作ったガールズグループの名前をWONDER GIRLSにし、TELL MEの振り付けは、ワンダーウーマンの動作(正確には腕の弾丸を受け止める動作)がモチーフとなったという。

  • 猫顔の女性が好みのようである。パク・チユン(歌手)、アン・ソフイ(元WONDER GIRLS)、フェイ(MissA)が彼の好みを示す代表的な例。

  • 拳を握って顎を支える姿勢を本当に好きだ。

  • 好きな食べ物は餅とHOT BARという。特に餅マニアとして有名で、普段から餅を持ち歩いているという。それで「餅ゴリラ」というニックネームが付いた。

再評価

芸能人が所属事務所と決別すると、訴訟を起こしたり、手放すにしても簡単には手放さなかったり、歌を利用して脱退した歌手を批判するなど、一緒にいるときは家族だが他の事務所に移籍すると豹変する芸能事務所の社長がかなり多い。特にアイドル系の事務所社長に多い。

しかしパク・ジニョンは、友好的に手放すだけでなく、自分の会社を出た芸能人と親密に付き合っている。SanEはパク・ジニョンのラップスタイルを受け入れられず途中で契約解除し移籍したが、その後SIXTEENでパク・ジニョンがSanEを審査員として呼んでいる。これを見る限りお互いに悪い感情はないようだ。例外らしい例外はパク・チユン程度である。しかし、パク・チユンの契約解除に関連する訴訟は会社との問題であり、パク・ジニョン個人とは何の問題もないとパク・チユンが明らかにしており、実際に2013年にパク・ジニョンの結婚式で祝歌を歌った。さらにTWICEの2ndミニアルバムでパク・チユンの「大切な愛」をリメイクし話題になった。パク・チユンのラジオにもTWICEはよく出演している。

WONDER GIRLSのソネが結婚し脱退した時も、ソヒが俳優になるためにJYPから移籍した時も、トラブルなく手放している。特にWONDER GIRLSで長く活動していた二人が再契約をしないと明らかにした際、パク・ジニョンは二人の新しい出発を応援するという意味の長文をInstagramに掲載した。移籍しようとする芸能人を激しく批判したり、移籍後の仕事を妨害することに必死な悪徳芸能事務所社長が多いことを考えると、パク・ジニョンは人格者といえる。

DISCOGRAPHY

正規アルバム

発売日アルバム名活動曲
1994年09月01日Blue City날 떠나지 마,너의 뒤에서
1995年08日31日딴따라엘리베이터, 청혼가
1996年09月00日썸머징글벨그녀는 예뻤다,난,썸머징글벨
1998年01月02日십 년이 지나도…Honey
1998年12月31日Kiss MeKiss Me,왜왜
2001年06月00日GameSwing Baby, 난 여자가 있는데
2007年11月16日Back to Stage니가 사는 그 집

EP

発売日アルバム名活動曲
2009年12月01日Sad FreedomNo Love No More
2012年04月29日Spring 새로운 사랑에게 보내는 다섯 곡의 노래너뿐이야
2013年09月09日Halftime놀만큼 놀아봤어

デジタルシングル

発売日アルバム名活動曲
2015年04月12日24/34어머님이 누구니
2015年09月24日너만 있으면 돼너만 있으면 돼
2016年04月10日살아있네살아있네

OST

発売日収録アルバム曲名
2011年01月31日드림하이 OST Part 5못 잊은 거죠 (If)
2012年01月31日드림하이 OST Part 1Falling

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